のような筆算のたし算の答えを、
自力で計算して、
と書いて、出しています。
自ら計算して、
答えを出すことで、
子どもは、
体験することで学ぶことができる
体験知を得ています。
実は、
自ら計算して、答えを出す体験から
得ることができる体験知は、
答えを出すスピードで、
大きく違う内容になります。
モタモタ・ダラダラのスピードであろうが、
テキパキ・サッサのスピードであろうが、
自ら答えを出す体験をしていますから、
どちらの計算スピードであっても、
何かの体験知を得ています。
計算して、答えを出す体験ですから、
計算スピードと無関係の体験知があります。
の 8 と 3 だけを見て、
8+3=11 と計算すること、
11 の一の位の 1 を、
と書くこと、
11 の十の位の 1 を、覚えること、
の 6 と 9 だけを見て、
6+9=15 と計算すること、
覚えている 1 を、15+1=16 と足すこと、
と書くこと、
このような体験知は、
自力で答えを出せるようになったとき、
「なるほど、こうするのか!」と感じて、
得ることができる知識(体験知)です。
「なるほど!」と納得して感じることで得る知識
このような体験知は、
計算スピードと無関係です。
違いを説明することは難しいのですが、
計算手順を、
言葉で説明されて理解できた学習知と、
自力で答えを出す体験から、
「なるほど!」と感じた体験知とは、
同じではないのです。
例えば、
の 8 と 3 だけを見て、
見えている 6 と 9 を見ないような
見る対象を狭く絞る見方は、
自力で答えを出す体験から得られる体験知です。
言葉で説明するとき、
の 8 と 3 だけを見るような
見る対象を狭く絞る見方に触れないで、
8+3=11 と足すことから、
言葉で説明します。
8 と 3 だけに限ってみるようなことを
説明しないのが普通です。
繰り上がり数 1 を覚える目的は、
計算スピードの影響を受けます。
答えを出すスピードが、
モタモタ・ダラダラのときと、
テキパキ・サッサのときとで、
得られる体験知が大きく違います。
浅くて、
そして、切れやすいのです。
ちょっとした出来事に気を取られて、
計算から離れてしまう子は、
浅くて、
そして、切れやすい集中の質だからです。
知識ですから、
繰り返し利用可能なのです。
浅くて、
そして、切れやすい集中を
繰り返し利用する・・・と妙な表現ですが、
この子は、
集中の質の体験知を利用することで、
集中をプツプツと切らせてしまうのです。
テキパキ・サッサのときに得る集中の質は、
深くて、
そして、切れにくいのです。
これも体験知ですから、
繰り返し利用することができます。
だからこの子は、
深くて、そして、切れにくい
集中の質の体験知を利用して、
一定の短い時間で、
のような筆算のたし算 50問を、
終わらせることができます。
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