6+5= のようなたし算の問題を見ただけで、習慣的に 6+5=11 と書いてしまうレベルがあります。このレベルになった子は、「あぁなれば、計算をマスターできた」と自己評価できるように育っています。

6+5=、4+9=、7+8=、のようなたし算で、

6+5=  を見るだけで、

6+5=11  と書いて、

4+9=  を見るだけで、

4+9=14  と書いて、

7+8=  を見るだけで、

7+8=15  と書いてしまうレベルがあります。

 

6+5=  の 6 の次の 7 から、

7、8、9、10、11 と 5回数えて、

出た答え 11 を、

6+5=11  と書くレベルではありません。

 

数えること、

つまり、指がどうにか取れて、

6+5=  を見ると、

答え 11 が、

頭の中に見えていて、

6+5=11  と書くレベルでもありません。

 

6+5=  を見るだけで、

6+5=11  と、

習慣的に書くことができるレベルです。

 

頭の中に、

6+5=  の答え 11 が見えていないのに、

6+5=11  と書いてしまうレベルです。

 

 

たし算の練習を繰り返すことで、

6+5=  を見るだけで、

6+5=11  と、習慣的に書くレベルに、

子どもが育つと、

算数の計算の盤石な基礎が

この子に築かれるだけではなくて、

計算を修得できたレベルの

基準を持ってしまいます。

 

「あぁなれば、計算をマスターできた」と、

子どもが、

自分自身を確実に評価できる基準です。

 

この基準は、

この子が、

自分自身を評価するときの基準です。

 

この子の内面にあって、

アナログ情報です。

 

言葉にできない情報ですが、

「あぁなれば、計算をマスターできた」と、

確実に、

自己評価できる基準です。

 

(基本 {\normalsize {α}} -889)、(+-  {\normalsize {α}} -474)