12+8= の答え 20 を、2+8= を見て、10 を出して、12 の 1 を見て、10 を 20 にする方法で教えます。目のピントの合わせ方だけで、計算できます。言葉で説明できないのです。

12+8=  の 1 だけを、

何も言わないでペン先で隠して、

子どもが  2+8=  を見たと感じたらすぐ、

「じゅう(10)」と言います。

 

そしてすぐ、

隠した  12+8=  の 1 を、

何も言わないでペン先を外してから見せて、

見せたらすぐ、

「にじゅう(20)」と言います。

 

それから、

= の右の余白を無言で示すか、

「にじゅう(20)」と言うか、

「ここ、にじゅう(20)」と言うか、

「にじゅう(20)、書いて」と言うか・・・します。

 

 

このようなリードで、

こちらは、

子どもの真後ろにいます。

 

そして、

目の前の子の頭の上の方から、

問題  12+8=  をのぞき見ます。

 

子どもの肩越しに、

こちらがペンを持った手を出して、

12+8=  の 1 を、

ペン先で隠します。

 

こちらは、

問題  12+8=  に焦点を合わせています。

 

目の前の子の後頭部が、

周辺視野で見えます。

 

こちらが、

12+8=  の 1 を、

ペン先で隠すと、

子どもの後頭部が、

微妙に動きます。

 

12+8=  の 1 を隠されて、

残って見える  2+8=  に、

子どもが焦点を絞るから、

後頭部が微妙に動きます。

 

これで、

目の前の子が、

2+8=  を見たらしいと、感じます。

 

 

また、

隠した  12+8=  の 1 を、

ペン先を外して、

つまり、ペン先を動かして見せますから、

子どもは、自然と、

ペン先が動いたところを見ます。

 

すると、

子どもに、1 が見えます。

 

ペン先を動かして外すと、

子どもは、自然に、

隠していた 1 を見ます。

 

 

このように工夫していますから、

子どもに教えることができます。

 

「2+8=  を見た」と感じたら、

「じゅう(10)」です。

 

2+8=  の答え 10 と、

子どもは、理解できます。

 

「隠した  12+8=  の 1 を見た」と感じたら、

「にじゅう(20)」です。

 

ここを、

10+10=20  と理解できるまで、

12+8=  や、

11+9=  や、

13+7=  や、・・・と、

同じような計算を見る回数に、

個人差があります。

 

 

子どもが、

「分かった!」となるまで、

同じような計算の仕方を、

こちらは見せてくれると、

子どもは、こちらを信頼していますから、

安心して、

答えの出し方をつかむことに集中できます。

 

しかも、

同じパターンの教え方ですから、

子どもが、

こちらに合わせなくていいのです。

 

自分がつかむまで、

自分らしさに正直になっていいのです。

 

 

参考までに・・・の話です。

 

こちらが子どもに合わせようとします。

すると、とても面白いことに、

子どもも、こちらに合わせようとします。

 

人には、

共感する力が備わっていますから、

自動的にこうなってしまいます。

 

こちらが、子どもに、

「こちらが、あなたに合わせようとしています」、

「あなたは、こちらに合わせなくていいのです」、

「つかむことに集中してください」と、注意しても、

子どもは、

自動的にこちらに合わせようとします。

 

こちらが合わせようとするから、

子どもも合わせようとします。

 

こうして、お互いに、

相手に合わせようとしてしまい、

その結果、子どもは、

「合わせること」に気持ちを使い、

「つかむ努力」がおろそかになって、

修得が遅れていまいます。

 

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