子どもの内面の奥底に、
「伸びたい」のような強烈な欲求があります。
現れ方は、さまざまです。
現れ方は、強くなったり、弱くなったりします。
不安定です。
ですが、常に一定した強さです。
「伸びたい欲求」が、
弱くなるようなことはないようです。
弱くなったように感じることや、
見えなくなってしまうことはありますが、
「伸びたい欲求」の現れ方が、
子どもの内面に引っ込んでいるだけです。
「今日のこの子から、
伸びたい欲求を感じない」とき、
「つかもうと、つかむまいと、
どうでもいいのだけれどね」の気持ちを、
こちらが、意識して取れば、
不思議なことですが、
「伸びたい欲求」を、見ることができます。
「伸びたい欲求を感じない」とき、
こちらの強い気持ちで、
子どもを追いかけてしまうと、
もっと感じなくなってしまいます。
相手の強い気持ちに追いかけられた子は、
その自然な結果として、
ドンドコ逃げてしまいます。
「伸びたい欲求を感じない」どころか、
見ようとしても、
まったく見えなくなってしまいます。
「伸びたい欲求を感じない」とき、
「つかもうと、つかむまいと、
どうでもいいのだけれどね」と、
こちらが気持ちを抜いてしまうと、
自然な結果として、
感じさせないだけの
現れ方が弱くなっている「伸びたい欲求」が、
寄ってくるようになります。
現れ方が弱いだけなのです。
「伸びたい欲求」自体は、
常に強烈なのです。
例えば、
5+3= の 5 を見て、
その次の 6 から、
6、7、8 と、3回数えて答え 8 を出して、
5+3=8 と書く計算をしている子です。
「伸びたい欲求」の現れ方が、
今日は、とても弱いために、
「えっ、どうしたの?」、
「今日は、やる気が起きないの?」と、
ハッキリと感じさせる日です。
「できるじゃない!」と励ますようなことは、
こちらが強い気持ちで、
この子を追いかけることですから、
子どもは、ドンドコ逃げてしまいます。
鉛筆を投げ出して、
計算すること自体を投げ出してしまいます。
強い気持ちで追いかけるからです。
おまじないのように、
「つかもうと、つかむまいと、
どうでもいいのだけれどね」を、
こちらは静かに心の中で意識して、
「伸びたい欲求」の現れ方が弱い日の子を、
こちらが代行して答えを出す気持ちで、
手伝ってしまいます。
穏やかな顔立ちを整えてから、
微笑みを浮かべた無言で、
投げ出した鉛筆をこの子の手に、
こちらが代行して持たせて、
この子の手を包み持って、
5+3= の 5 を、
包み持ったこの子の手を動かして、
鉛筆の先で示して、
「ご」と声に出して読み、
同じように、3 を示して、
「ろく、しち、はち」と、
声に出して数えて、
= の右に、
包み持ったこの子の手を動かして、
5+3=8 と書いてしまいます。
同じような代行で、
7+3=10 と、
2+3=5 と、
9+3=12 と、
5~10問の答えを出して、
書いてしまいます。
現れ方が弱いだけの「伸びたい欲求」は、
常に強烈なのですから、
追いかけられないことで、
自分から寄ってきます。
そして、この子が、
「もう、できる」や、
「自分でやる」のようなことを主張して、
自力で答えを出して、
書き始めます。
(基本 -913)、(+- -488)