を計算して、
答えを出して、
と書きます。
子どもが、自力で計算します。
誰かから教えられて計算するのではなくて、
誰にも教えられていないのに、
自力で計算できます。
筆算のかけ算を修得した子だから、
当たり前といえば当たり前です。
でも、
よくよく考えると、
不思議といえば不思議です。
の 4 を見ます。
自力です。
誰かから、
見るように指示されて、
見ているのではありません。
続いて、
真上の 9 を見ます。
やはり、自力です。
そして、
この 4 と、9 の九九の答え、
36(4×9=36) を出します。
ここも、自力です。
何を見てもいい子が、
あるいは、
何も見なくてもいい子が、
の 4 を見ます。
ですから、
この子自身をリードする何かが、
この子の内面にいて、
その何かが、
この子をリードして、
この子に、
4 を見させていると、
仮定すると納得がいきます。
自力で計算しているのですから、
この子の内面の何かが、
リードしているはずです。
4 に続いて、
9 を見させるのも、
この子の内面のこの子をリードする何かです。
4×9=36 と、九九の答え 36 を、
この子に出させるのも、
6 だけを、 と書かせるのも、
3 を覚えさせるのも、
この子をリードする何かです。
そして、
また、4 を見させるのも、
続いて、2 を見させるのも、
4×2=8 と、九九の答え 8 を出させるのも、
覚えている 3 を思い出させるのも、
8+3=11 と足させるのも、
と書かせるのも、
この子をリードする何かです。
これが、
自力の正体です。
(基本 -948)、(×÷ -174)