筆算のかけ算を自力で計算できる子です。修得できた今は、誰からも教えられていないのに、計算して、答えを出します。この子の内面の何かが、この子をリードしていると仮定することが自然です。

{\normalsize{\begin{array}{rr} 29 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  を計算して、

答えを出して、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 29 \\ \times  \:\:\: 4 \\\hline 116 \end{array}}}\\ と書きます。

 

子どもが、自力で計算します。

 

誰かから教えられて計算するのではなくて、

誰にも教えられていないのに、

自力で計算できます。

 

筆算のかけ算を修得した子だから、

当たり前といえば当たり前です。

 

でも、

よくよく考えると、

不思議といえば不思議です。

 

 

{\normalsize{\begin{array}{rr} 29 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  の 4 を見ます。

自力です。

 

誰かから、

見るように指示されて、

見ているのではありません。

 

続いて、

真上の 9 を見ます。

やはり、自力です。

 

そして、

この 4 と、9 の九九の答え、

36(4×9=36)  を出します。

ここも、自力です。

 

 

何を見てもいい子が、

あるいは、

何も見なくてもいい子が、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 29 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  の 4 を見ます。

 

ですから、

この子自身をリードする何かが、

この子の内面にいて、

その何かが、

この子をリードして、

この子に、

4 を見させていると、

仮定すると納得がいきます。

 

自力で計算しているのですから、

この子の内面の何かが、

リードしているはずです。

 

4 に続いて、

9 を見させるのも、

この子の内面のこの子をリードする何かです。

 

4×9=36  と、九九の答え 36 を、

この子に出させるのも、

6 だけを、{\normalsize{\begin{array}{rr} 29 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \:\:\:6\end{array}}}\\ と書かせるのも、

3 を覚えさせるのも、

この子をリードする何かです。

 

そして、

また、4 を見させるのも、

続いて、2 を見させるのも、

4×2=8  と、九九の答え 8 を出させるのも、

覚えている 3 を思い出させるのも、

8+3=11 と足させるのも、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 29 \\ \times  \:\:\: 4 \\\hline 116 \end{array}}}\\ と書かせるのも、

この子をリードする何かです。

 

これが、

自力の正体です。

 

(基本  {\normalsize {α}} -948)、(×÷  {\normalsize {α}} -174)