筆算のひき算 から逃げて
いたずら書きをしている子です。
この子を、
こちらが、
どのように見るかは、
パラダイムという習慣です。
こちら自身が、
を計算するとき、
計算から逃げて、
いたずら書きをしようとする自分を、
「繰り下がりのひき算は嫌だよね」、
「息抜きでもするかい?」と、
許すかどうかです。
自分が、
自分自身に対してです。
自分自身が、
の計算に気が乗らないで、
息抜きをしようとして、
絵を描き始めようとしたら、
「今は、計算の時間」、
「絵を描く時間ではない」と、
自分自身を制するのでしたら、
これが、
自分のパラダイムの習慣です。
そして、普通、
自分のパラダイムの習慣を
改めて見つめ直すようなことをしませんから、
そのままのパラダイムの習慣で、
いたずら書きをしている子を見ます。
そして自然に、
自分のしていることを疑うこともなく、
いたずら書きをやめさせようとします。
自分自身が、
息抜きで、絵を描こうとしても、
許さないのですから、
いたずら書きをしている子どもを
許すこともしません。
そして、
「いたずら書きをしている」、
「すべきではないことだから、
やめさせなければ」と、
こうなってしまいます。
でも、
「計算していない」だけなのですが、
そうとは見ないのです。
「計算をしていない」、
「 の計算に戻さなければ」と、
思うこともないのです。
根拠も保証もないままに、
いたずら書きをやめさせれば、
子どもは、
の計算に戻ると決めています。
残念ながら、
それほど単純なことではないのです。
いたずら書きをやめさせたら、
ボ~ッとしてしまうこともあるのです。
確実に、
の計算に戻したければ、
いたずら書きのことを
少しも触れないようにして、
いたずら書きをしている子どもに、
突然に割って入り、
の 2 と 5 を示しながら、
「2-5、引けない」と言って、
「12-5、7」と引いて、
5 の真下を無言で示します。
こうすれば、
子どもは、
と書きますから、
確実に、計算に戻ります。
(基本 -1083)、(+- -580)