計算すること自体が、
何らかの習慣になっています。
例えば、
21÷3= は、
3の段の答えの中から
21 を探して、
3×7=21 から、
21÷3=7 とするだけの計算です。
繰り返し、
九九の答えの中から
21÷3= のような
割り切れるわり算の答えを探していると、
不思議な変化が起こります。
九九の答えの中から
割り切れるわり算の答えを探そうとして
九九を唱えようとするとき
21÷3= の答え 7 が
心に浮かんでいるのです。
「さんいちがさん(3×1=3)」と
唱え始めようとするとき、
「しち(7)」が
出ているのです。
わり算の感覚です。
21÷3= のような
割り切れるわり算の答えを
九九の答えの中から
繰り返し探し続ければ、
子どもは誰でも
わり算の感覚を
自然に持ってしまいます。
繰り返し
割り切れるわり算を
計算するだけです。
ところが、
同じようなことを
繰り返すと、
子どもは必ず飽きます。
そして、
計算から逃げるようになります。
ダラダラと計算することや、
集中を切らせてボ~ッとするようになります。
すると困ったことに、
ダラダラと計算することや、
集中を切らせてボ~ッとすることを
結果として、
繰り返しますから、
習慣になってしまいます。
ですから、
ダラダラと計算することや、
集中を切らせてボ~ッとすることが、
21÷3= のような
割り切れるわり算の計算中に現れ始めたら、
九九の答えの中から答えを探すことに、
夢中になる習慣や、
楽しんでしまう習慣を
子どもに持たせるチャンスなのです。
21÷3= の 3 を示して、
21 を示したまま、
「さんいちがさん(3×1=3)」から、
「さんしちにじゅういち(3×7=21)」までを
こちらが、
夢中になって、
あるいは、
楽しそうに唱えて、
答え 7 を探す見本になります。
ダラダラと計算することや、
集中を切らせてボ~ッとすることが、
起こる度に、
夢中になって、
あるいは、
楽しそうに
割り切れるわり算を計算するこちら自身を
子どもに見せます。
これで、
答えを探すことに
夢中になる習慣や、
楽しんでしまう習慣が
子どもに育ちます。
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