「えっ、たし算を忘れたらしい?」と、
筆算のかけ算の繰り上がり計算を
モタモタとして
たし算の答えを出せなくなった子から
感じることがあります。
例えば、
のような筆算のかけ算で、
4×6=24 の 4 を、
と書いて、
2 を、次の計算の答えに足すと決めて覚えて、
4×2=8 と次のかけ算の答えを出し、
8+2= のたし算の計算の答えが、
出ない子を見たときに感じます。
モタモタとして
たし算の答えを出せなくなっています。
「えっ、どうしたの?」、
「たし算だよ」のような感じで、
すぐに答えを出せるはずの
8+2= の答え 10 を出せない子に
こちらは驚きます。
この子は、
算数の計算を普通の順に習っています。
ですから、
筆算のかけ算を習う前に、
暗算のたし算を習っています。
8+2= のような暗算のたし算の答えを、
「たし算の感覚」のような感覚で、
問題を見ただけで、
10 と出す力を持っています。
ですから、
のような筆算のかけ算の計算で、
繰り上がりのたし算 8+2= が出ても、
「たし算の感覚」が働けば、
瞬時に答え 10 が出るはずです。
そうなのですが、
目の前の子は、
繰り上がりのたし算 8+2= の答えを、
出せなくなっています。
こちらは素朴に、
「えっ、どうしたの?」、
「たし算だよ」と感じますが、
少し冷静に考えることもできます。
どうやら、
「たし算の感覚」が、
働かなくなっているらしい・・・
このような感じです。
さて、
「たし算の感覚」は、
一度持ってしまえば、
脳を損傷しない限り、
生涯、使うことができる力です。
「たし算の感覚」を、
忘れたりしません。
そもそも、
「たし算の感覚」を、
覚えようとして
覚えたのではないのです。
8+2= の答えを、
8 を見て、
2 を見てから、
9、10 と 2回数えて出すような計算を、
「まだ、たし算なの?」と
ウンザリしていても繰り返し続けた結果、
いつの間にか自然に
「たし算の感覚」を持ったのです。
このような感覚は、
立って歩く力や、
母国語の会話能力のように
生涯、使える力なのです。
ですから、
使えるはずの「たし算の感覚」を
使えなくなっているだけなのです。
そこには、
働かなくなるような
子どもを強く制限する何かが、
「たし算の感覚」が働くことを
邪魔しているのでしょう。
そして、どうやらそれは、
計算の仕方をつかもうとして
全精力を振り向けている子に、
の計算が、
とても複雑そうに感じるからのようです。
4×6=24、
4×2=8 と、
続けてかけ算を計算した後、
突然のように、
計算の種類を切り替えて、
8+2= のたし算を
計算しなければならないからです。
初めてこのように、
計算の種類を切り替える練習をする子です。
とても戸惑うのも
無理のないことです。
(基本 -1213)、(×÷ -214)