筆算のかけ算の繰り上がり計算で、子どもは初めて、自力で、計算の種類を切り替えることに出会います。とても戸惑い、楽に使える力にブレーキが掛かることがあります。

「えっ、たし算を忘れたらしい?」と、

筆算のかけ算の繰り上がり計算を

モタモタとして

たし算の答えを出せなくなった子から

感じることがあります。

 

例えば、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 26 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  のような筆算のかけ算で、

4×6=24  の 4 を、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 26 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \:\:\:4\end{array}}}\\  と書いて、

2 を、次の計算の答えに足すと決めて覚えて、

4×2=8  と次のかけ算の答えを出し、

8+2=  のたし算の計算の答えが、

出ない子を見たときに感じます。

 

モタモタとして

たし算の答えを出せなくなっています。

 

「えっ、どうしたの?」、

「たし算だよ」のような感じで、

すぐに答えを出せるはずの

8+2=  の答え 10 を出せない子に

こちらは驚きます。

 

 

この子は、

算数の計算を普通の順に習っています。

 

ですから、

筆算のかけ算を習う前に、

暗算のたし算を習っています。

 

8+2=  のような暗算のたし算の答えを、

「たし算の感覚」のような感覚で、

問題を見ただけで、

10 と出す力を持っています。

 

ですから、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 26 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  のような筆算のかけ算の計算で、

繰り上がりのたし算  8+2=  が出ても、

「たし算の感覚」が働けば、

瞬時に答え 10 が出るはずです。

 

 

そうなのですが、

目の前の子は、

繰り上がりのたし算  8+2=  の答えを、

出せなくなっています。

 

こちらは素朴に、

「えっ、どうしたの?」、

「たし算だよ」と感じますが、

少し冷静に考えることもできます。

 

どうやら、

「たし算の感覚」が、

働かなくなっているらしい・・・

このような感じです。

 

 

さて、

「たし算の感覚」は、

一度持ってしまえば、

脳を損傷しない限り、

生涯、使うことができる力です。

 

「たし算の感覚」を、

忘れたりしません。

 

そもそも、

「たし算の感覚」を、

覚えようとして

覚えたのではないのです。

 

8+2=  の答えを、

8 を見て、

2 を見てから、

9、10 と 2回数えて出すような計算を、

「まだ、たし算なの?」と

ウンザリしていても繰り返し続けた結果、

いつの間にか自然に

「たし算の感覚」を持ったのです。

 

このような感覚は、

立って歩く力や、

母国語の会話能力のように

生涯、使える力なのです。

 

 

ですから、

使えるはずの「たし算の感覚」を

使えなくなっているだけなのです。

 

そこには、

働かなくなるような

子どもを強く制限する何かが、

「たし算の感覚」が働くことを

邪魔しているのでしょう。

 

そして、どうやらそれは、

計算の仕方をつかもうとして

全精力を振り向けている子に、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 26 \\\:\times\:\:\: 4 \\ \hline \end{array}}}\\  の計算が、

とても複雑そうに感じるからのようです。

 

 

4×6=24、

4×2=8  と、

続けてかけ算を計算した後、

突然のように、

計算の種類を切り替えて、

8+2=  のたし算を

計算しなければならないからです。

 

初めてこのように、

計算の種類を切り替える練習をする子です。

 

とても戸惑うのも

無理のないことです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1213)、(×÷  {\normalsize {α}} -214)