99+1= や、100+1= や、101+1= や、199+1= や、999+1= や、1000+1= に、数唱の一部分から答えを出せる子を、指導することで観察できます。得られるすべての情報が体験知です。

1 を足すたし算は、

数唱の一部分です。

 

例えば、

5+1=6  は、

「ご、ろく」です。

 

数唱の一部分の「ご、ろく」の

「ご」は、5+1=6  の 5 です。

 

「ろく」は、5+1=6  の 6 です。

 

そして、

「ご」と、「ろく」の 2つだけの一部分は、

5+1=6  の 1 です。

 

 

数唱は、

「いち、に、さん、し、ご、・・・」と続いて、

「ひゃく、ひゃくいち、・・・、ひゃくにじゅう」まで、

言えるようにしています。

 

1 を足すたし算を、

数唱の一部分と理解できていて、

数唱の力を素直に使うことができれば、

119+1=120  を、計算できます。

 

 

そして、

教えてはいませんが、

「ひゃくきゅうじゅうく、にひゃく、・・・」や、

「きゅうひゃくきゅうじゅうく、せん、せんいち、・・・」と、

自力で数唱を伸ばすことができれば、

199+1=  や、

999+1=  や、

1000+1=  を、

自力で計算できるはずです。

 

と、

このようなことを読んで理解できたら、

教える体験の裏付けがありませんから、

知っただけの学習知です。

 

 

実際に、

子どもに教える体験をします。

 

99+1=  や、

100+1=  や、

101+1=  を自力で計算させます。

 

さらに、

199+1=  や、

999+1=  や、

1000+1=  を、

自力で計算させます。

 

実際に指導することで、

子どものさまざまな反応を観察できます。

 

例えば、

999+1=  を、

「きゅうひゃくきゅうじゅうく、せん」と唱えて、

999+1= 1000  と書くことや、

1000+1=  を、

「せん、せんいち」と唱えて、

1000+1=1001  と書いてしまうことです。

 

すべて体験知です。

 

 

数唱は、

「いち、に、さん、し、ご、・・・」と続いて、

「ひゃく、ひゃくいち、・・・、ひゃくにじゅう」まで、

言えるようにしているだけなのです。

 

120 を超えて、

その先の数唱は、

教えていないのです。

 

それなのに目の前で、

999+1=  に、

999+1= 1000  と書くことや、

1000+1=  に、

1000+1=1001  と書くことを見たら、

この子は、何か違う力を持っているのだろうかと

自然に感じることも

体験知です。

 

このような観察から得られる知識が

体験知です。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1424)、(+-  {\normalsize {α}} -781)

 

関連:2023年09月21日の私のブログ記事

「数唱の一部分「ご、ろく」を、

式に書けば、5+1=6  です。

そして、99+1=100  であって、

999+1=1000  です。スラスラできる子には、

何かの才能があるのではと、期待できます」。