乳幼児の育ちの扉は、中から開いています。親や、周りの大人は、無意識の知恵として知っています。外から邪魔しません。算数のたし算も、計算に取り組んでいる子の育ちの扉は、中から開いています。

子どもの育ちの扉は、

外から開けることができなくて、

内側からでなければ、

開けることができないとします。

 

すると、

子どもの育ちの扉が、

閉じたままなのか、

それとも、開くのかは、

子ども次第です。

 

では、

子どもは、

自分の育ちの扉を

開けようとしているのでしょうか?

 

 

とても興味深い事実があります。

 

乳幼児は、自力で見よう見まねで、

アレコレのことを学び続けて

修得してしまいます。

 

歩き方など教えていないのに、

立って歩けるように育ち、

日本語の話し方や聞き方を教えていないのに、

聞いて理解できるように、

言いたいことを言えるように育ちます。

 

教えていないのに、

このようなことを自力で学び、

修得しています。

 

 

乳幼児が学び育つプロセスで、

周りの大人(主として親でしょうか?)は、

乳幼児が育ちの扉を内から開けているので、

外から邪魔して、

育ちの扉が閉まらないように注意しています。

 

このような育ちの扉のことなど

考えることも

意識することもないままに、

無意識の知恵で、

外から邪魔しませんから、

乳幼児が内から開けている育ちの扉は、

開いたままです。

 

だから乳幼児は、

短期間で、立って歩けるように育ち、

日本語を聞き話すように育ちます。

 

 

さて、算数のたし算

7+6= 、9+3= 、・・・ の 100問の途中で、

集中が切れてボ~ッとしていても、

この子の育ちの扉は、

内から開いているのですから、

外から邪魔して、

閉じないようにすればいいのです。

 

ですが、

子どもの内面の育ちの扉は見えませんから、

つい、

「どうしたの?」、

「できるでしょ」と言ってしまいます。

 

こうなると子どもは、

育ちの扉を、パタッと閉じてしまいます。

 

外から邪魔しなければ、

すでに、開いている育ちの扉は、

開いたままです。

 

 

さてじつは、

集中が切れてボ~ッとしているようなことは、

乳幼児が、

立って歩くことができるようになるまでや、

日本語を聞き話すようになるまでに、

頻繁に起こることなのです。

 

寝返りを打てない乳幼児が、

寝返りの練習を

5分も10分も集中してしたりしません。

 

1~2回もしたら、

別の何かをしています。

 

でありながら、

寝返りを打てるようになります。

 

何回も、

寝返りを打つ練習に戻るから、

結果として、

その乳幼児が必要としている長時間

練習していることになります。

 

立って歩くことでも、

日本語を聞き話すことでも、

算数のたし算でも、

同じようになっています。

 

 

子どもの集中は続かないのです。

 

でも、

修得するまで、

繰り返し戻るから、

必要とされるだけの練習をできます。

 

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関連:2023年10月21日の私のブログ記事

「子どもが伸びようとする思いを、

子どもの心の中の育ちの扉と解釈すると、

イメージ化できます。この扉は、

中から開けることができます」。