「計算している」ことのみに絞って見ます。
どのような姿勢で、
どのような態度であっても、
見ません。
子どもの姿勢や態度を見ません。
「計算している」ことに絞って見るのですから、
「計算している」のか、
それとも「計算していない」のかが
見た結果です。
もちろん、
計算している子どもを見るのですから、
子どもの姿勢や態度も見えています。
ただ、
目に映っているだけです。
見ようと決めて
見ているのは、
「計算している」のかどうかだけです。
「計算していない」のでしたら、
「計算している」に変えるために、
必要な手助けをします。
「計算していない」原因を探しません。
原因は、あるのでしょうが、
それを知らなくても、
また、
子どもの姿勢や態度がどうであろうとも、
「計算している」に変えてしまいます。
子どもの姿勢や態度を
変えようとしないで、
「計算していない」を
「計算している」に変えることができます。
鉛筆を持っていなければ、
渡して、
持たせてしまいます。
3+1 の答えを出していないようでしたら、
「さん、し」とリードして、
答え4を出してしまいます。
書かないようでしたら、
子どもの鉛筆を持った手を、
こちらが包み持って、
答え4を書いてしまいます。
このようなリードを、
こちらはできます。
目の前の子どもの態度を気にしなければ、
心穏やかにリードできます。
同じようなリードを何回でもします。
そして、50問~100問を
10分くらいで終わらせます。
鉛筆を持たせて、
答えを出して、
子どもの手を包み持って書いて……を、
繰り返します。
10分くらいで終わらせるのですから、
子どもの態度を、
子どもにとやかく言うことに
時間を割けません。
こちらが手伝うたびに、
たし算の計算が何問か終わります。
自分の態度をとやかく言われずに、
10分くらいで終わってしまいます。
このようにして、
計算し終える体験を、
手伝われながらでも重ねさせます。