「荒れた状態」の子に、計算だけをリードします。子どもは、計算だけをリードされていると、すぐに気付きます。そして、「荒れた状態」のままで、計算している自分に驚きます。

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline \end{array}  }}\\ のような筆算のかけ算を、

50 問計算しようとしている子です。

 

今日は、

気持ちが荒れています。

荒々しい態度です。

 

このような子を見たら、

「困った・・」、

「算数の計算をするような状態ではない」と、

思ってしまうのが普通です。

 

 

回りくどい言い方をすると、

本題に移れなくなりますから、

回り道をしないで、

ズバリ核心の話をします。

 

この子は、

「荒々しい態度」を出しているのです。

 

この子が、

自分の主体性で、

「荒々しい態度」を出しています。

 

 

今のこの子は、

していませんが、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline \end{array}  }}\\ を計算して、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:\:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline3661\end{array}  }}\\ と答えを出すのは、

この子です。

 

つまり、

「荒々しい態度」も、

この子の出すことですし、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:\:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline3661\end{array}  }}\\ と、計算して答えを出すことも、

この子の出すことです。

 

この子にしたら、

同じ向きなのです。

何かを「出す」向きです。

 

 

でも、

このような見方は、

普通ではありません。

 

普通の見方は、

「荒れた状態」を、

アレコレと導くことで、

「平穏な状態」に変えて、

それから、

「平穏な状態」の子が、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:\:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline3661\end{array}  }}\\ と、

計算して答えを出します。

 

「荒れた状態」のままの子に、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:\:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline3661\end{array}  }}\\ と、計算して答えを

出させようと考えたりしません。

 

 

そもそも、

「荒れた状態」も、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:\:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline3661\end{array}  }}\\ と、計算して答えを出すことも、

同じ向きで、

何かを「出す」向きだと、

見るようなことをしません。

 

ですから、

「荒れた状態」のままの子に、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:\:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline3661\end{array}  }}\\ と、計算して答えを出させることを、

試したこともありません。

 

 

でも、

仮に、

「荒れた状態」のままの子に、

今はしていない

計算をさせることも、

可能であるとします。

 

こうなると、

「荒れた状態」を、

「平穏な状態」に、

変える必要がなくなります。

 

「荒れた状態」のままの子に、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:\:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline3661\end{array}  }}\\ と、計算して答えを出すことを、

新たにさせるだけのことです。

 

実際の経験上の話ですが、

このことは、可能です。

 

試していないだけのことです。

 

 

ここで、

おまけの話ですが、

試すための

注意点です。

 

目の前の子の

「荒れた状態」を、

全く気にしません。

 

もちろん、

見えているのですが、

見ません。

 

そして、

このような態度を保って、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline \end{array}  }}\\ の計算だけを、

リードします。

 

「荒れた状態」の子へのリードではありません。

 

いつものような

落ち着いた状態の子へのリードと、

全く同じリードをします。

 

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline \end{array}  }}\\ の 7 と、3 を示しながら、

小声で、しかも、早口で、

「しちさんにじゅういち(7×3=21)」と、

声に出して言い、

7 の真下を示して、

「いち(1)」、

「指、に(2)」です。

 

 

見えていて、

見ませんが、

「荒れた状態」の子にリードしています。

荒々しい態度の子にリードしています。

 

こちらのリードに、

何も反応しないことがあります。

 

そうでしたら、

「ここ、いち(1)書いて」と誘うか、

あるいは、

書くこと自体を手伝います。

 

 

書くことを手伝うのでしたら、

無言です。

 

「荒れた状態」の子へのリードは、

計算以外、

無言が効果的です。

 

「荒れた状態」を、

別の状態に変えようとしていません。

 

「荒れた状態」のままで、

計算することもできますから、

このことを体験させようとしています。

 

こちらが、

子どもの鉛筆を持ち、

子どもが鉛筆を持つ手に、

持たせてしまいます。

 

その手を、

こちらが包み持って、

子どもの手を動かして、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline \:\:\:\:\:\:\:1\end{array}  }}\\ と書きます。

 

 

と、

このような感じで、

「荒れた状態」のままの子に、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  \:523 \\ \:\:\times  \:\:\:\:\:\: 7 \\ \hline \end{array}  }}\\ の計算をリードしていきます。

 

「荒れた状態」であっても、

子どもはすぐに、

こちらが手伝っていることは、

計算だけであることに気付きます。

 

ですから、

実際に試していただくと、

「荒れた状態」のまま、

計算もできることがすぐに分かります。

 

 

実は、

こちらが分かるだけではありません。

 

当の子ども本人も、

自分が「荒れた状態」であることを

自覚しているだけに、

「あれ、計算しているよ・・」と、

あり得ないことが起こったように、

計算している自分自身を、

とても驚いて、

そして、

認めます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -521)、(×÷  {\normalsize {α}} -114)