のような筆算のかけ算を、
半ば習慣のように計算できるようになります。
こうなった子どもを見て、
こちらは、
「突き抜けた」と感じます。
計算し続けることで、
この子が、
自ら修得する状態です。
「突き抜けた」状態へ、
言葉で説明して、
リードすることはできません。
子どもが、
繰り返し のようなかけ算を
計算し続けた結果、
「突き抜けた」状態になります。
さて、
計算自体は、
4×6=24 の九九と、
4×2=8 の九九と、
8+2=10 のたし算です。
4 の段の九九でしたら、
一息で、
6 秒で言うことができます。
九九の音が取れていて、
の 4 と 6 を
下から上に見れば、
瞬時に、
九九の音:「しろくにじゅうし」を使わなくて、
九九の答え 24 を出せる子です。
また、
8+2= のような
暗算のたし算の指が取れている子ですから、
「はち足すには?」と聞かれても、
瞬時に、
答え 10 が出ます。
九九だけの計算であれば、
あるいは、
暗算のたし算だけの計算であれば、
どちらも半ば習慣になっていますから、
瞬時に答えを出せます。
これだけの計算力を持っていても、
の計算になると、
4×6=24 の九九と、
4×2=8 の九九と、
8+2=10 のたし算のいずれも、
ギクシャクとして、
モタモタとしてしまいます。
「どうして?」ではなくて、
ほとんどの子が、
こうなってしまう計算なのです。
ですから、
や、
や、
のかけ算を、
50 問、計算しようとすれば、
途中で集中が、
何回も切れてしまい、
この子の高い計算力があれば、
10 分もしないうちに、
終わるはずなのに、
20 分や、30 分かかってしまいます。
「時間がかかっても、
終わるからいいか」と、
受け入れてしまうと、
ダラダラと計算する習慣を育ててしまいます。
集中が切れていたら、
子どもに、
何も入れることなく、
ただ出すことだけをリードして、
「突き抜けた」状態の計算を、
繰り返し見せるようにします。
止まっている計算 の
3 と 7 を無言で示して、
「にじゅういち(21)」、
3 の真下を示して、
「いち(1)」です。
集中が切れて、
計算から逃げている子ですが、
何かを教えてもらいたのではありません。
子どもは、
集中を切らすことなく、
計算できるものならば、
計算したのです。
だから、
こちらがいきなり、
3 と 7 を無言で示して、
「にじゅういち(21)」と言うことや、
3 の真下を示して、
「いち(1)」と言うことを、
素直に受け入れてしまいます。
そして、
と書きます。
こちらの
「突き抜けた」状態の計算を続けます。
の 3 と 5 を示して、
「じゅうご(15)」、
「に増えて、じゅうしち(17)」、
5の真下を示して、
「ここ」です。
子どもは、
と書きます。
さて、
子どもに見せているのは、
「突き抜けた」状態の計算です。
こちらのリードと、
子どもが、
答えを書く時間を入れても、
を、
と計算するまで、
20秒もかかりません。
同じようなリードで、
同じようなスピードで、
2~3 問、
「突き抜けた」状態の計算を
子どもに見せます。
このようなリードを、
何回か続けると、
子どもの心に、
「突き抜けた」状態の計算が、
イメージとして残るようになります。
こうなると、
この子は、
自分のかけ算の計算のゴールを、
こちらが見せている
「突き抜けた」状態の計算と、
意識するようになります。
そして、
じきに、
この子のかけ算の計算が、
「突き抜けた」状態の計算に変わります。
(基本 -461)、(×÷ -097)