答えが出せない問題を、5分でも、10分でもボンヤリと見ている子をリードして、10秒や20秒で答えを書き終わらせれば、「聞いた方が・・・」と思うようになります。この思いが積み重なったある日、「教えて・・・」と聞く子に変身します。

37×20= と、

50×43= の答えの出し方を、

この子から聞かれます。

 

そして、

こちらの実況中継で教えられた子は、

37×20= 740   や、

50×43=2150   と、

答えを書き終えます。

 

自主的に聞くレベルまで、

主体性の率先力が育っています。

 

 

少し前までは、

自力で答えを出せない計算を、

ボンヤリと眺めているだけでした。

 

こちらが、

この子の困った状態に気が付いて、

教えてもらえるまで、

じっと待つだけでした。

 

5分でも、

10分でも、

ジッと待っていました。

 

 

例えば、

36÷3= のわり算の答えを出せなくて、

ボンヤリと眺めていました。

 

問題が、27÷3= でしたら、

3の段の九九を下から順に、

「さんいちがさん(3×1=3)」から唱えれば、

「さんくにじゅうしち(3×9=27)」と、

27÷3= の 27 が見つかりますから、

27÷3=9 と答えることができます。

 

でも、

3の段の九九は、

3×9=27 までですから、

36÷3= の 36 が見つかりません。

 

この子が知っている答えの探し方、

つまり、

3の段の九九の答えから、

36 を見つけ出す方法では、

36÷3= の答えを出せません。

 

 

このときは、

まだ、主体性の率先力が未熟なため、

36÷3=12 と計算する方法を、

主体的に、

こちらに聞くことができません。

 

反応性の依存で、

こちらに甘えて、

こちらが、

この子が困っていることに気付くまで、

反応性の依存の自然な結果を受け入れて、

ボンヤリと 36÷3= を眺めて待ちます。

 

5分でも、

10分でも、

この頃のこの子は、

こちらが気付くのを待ちます。

 

 

もちろんこちらは、

この子の困った状態に気付いたらすぐ、

36÷3= の答えの出し方を実況中継します。

 

36 の 3 と、

÷3 の 3 を順に示しながら、

「3÷3=1」、

= の右を示して、

「ここ、いち(1)」とリードします。

 

リードされたこの子は、

36÷3=1   と書きます。

 

こちらはリードを続けて、

36÷3=1   の 6 と、

÷3 の 3 を順に示しながら、

「6÷3=2」、

= の右の 1 の右を示して、

「ここ、に(2)」とリードします。

 

リードされたこの子は、

36÷3=12   と書きます。

 

こちらがリードし始めて、

10秒もしないで、

この子は、

36÷3=12   と書き終わります。

 

 

5分でも、

10分でも、

ボンヤリとしている子に気付いたこちらが、

突然に、割って入り、

この子のボンヤリを中断させて、

いきなりのように、

36 の 3 と、

÷3 の 3 を順に示しながら、

「3÷3=1」、

= の右を示して、

「ここ、いち(1)」とリードしても、

この子が、反応性の依存で、

待っていた助けですから、

すぐに反応できます。

 

ですから、

こちらの出した答え 1 を、

36÷3=1   と書いてしまいます。

 

 

待っていた助けであるにしても、

答えを出せなかった 36÷3= が、

10秒もしないで、

36÷3=12   と書き終わるのですから、

「聞いた方が・・・」との思いが、

この子の心に、

自然に育ち始めます。

 

そして、

37×20= や、

50×43= の問題に出会ったとき、

この子はこちらに、

「教えて・・・」と頼ります。

 

この子の心の中に、

少しずつ蓄積されていた

「聞いた方が・・・」との思いが、

突然にこの子を動かして、

「教えて・・・」と聞く子になります。

 

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