「見慣れている」や、「初めて見る」は、体験知です。「戸惑う」も、体験知です。

暗算形式  8×125=  が初めてで、

見慣れていない形に、

ひどく戸惑います。

 

125×8=  でしたら、

見慣れた形です。

 

組み合わせを入れ替えただけの

8×125=  を、

右から左に見て掛けようとしても、

右にあるのは、125 です。

 

1 と、2 と、5 と、

3つの数がありますから、

右から左に見ようとしても、

どの右の数から、

左を見るのかに戸惑います。

 

 

右に、30 のように、

2つの数があって、

26×30=  のような形でしたら、

計算できます。

 

26×30=  の 30 の 0 を、

先に、26×30=  0  と、

答えの一の位として書いてから、

26×3=  を計算します。

 

これでしたら、

右から左に見ることに慣れています。

 

 

8×125=  のように、

右に、125 ですから、

1 と、2 と、5 の 3つの数です。

 

どの右から左を見るのかに、

戸惑ってしまいます。

 

 

慣れれば、

戸惑いも、

自然に消えてしまいます。

 

「慣れる」ことも、

「戸惑う」ことも、

体験知なのです。

 

学習知ではないのです。

 

 

8×125=  を、

右から左に見て掛けようとして、

右の 125 のどれから、

左を見るのかに戸惑っている子に、

「繰り返し、計算すること、

じきに慣れて、

戸惑うこともなくなります」と、

言葉で説明しても、

得られる知識は学習知です。

 

「慣れる」ことや、

「戸惑う」ことを、

言葉で説明されて、理解できても、

体験知にはなりません。

 

 

子どもが必要な回数、

8×125=  を、

実況中継型リードを見て学ぶことで、

「慣れる」ことや、

「戸惑う」ことの体験知を得ることで、

慣れることになります。

 

そして、

慣れてしまえば、

戸惑うことがなくなります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1661)、(×÷  {\normalsize {α}} -279)