計算見本 : =4 を見て、
問題 = を計算させます。
シンプルに指示します。
計算見本を示して、
「これ、見て」、
問題を示して、
「これ、やって?」です。
指示された子が、
=2 と計算します。
正しくできています。
「合っている」と認めてすぐ、
「どうやったの?」と聞きます。
子どもの答えは、さまざまです。
「8÷4=」と計算式そのものを言う子、
「これをこれで割る」と、数字を言わない子、
「割った」や、「わり算」と曖昧な子、
「4×2=」と、かけ算で計算した子、
「これ掛けるこれ」と、数字を言わない子、
「掛けた」や、「かけ算」と曖昧な子、
このようにさまざまです。
自分がした計算を説明してくれます。
問題 = を、
計算見本 : =4 を見て、
「こうだろう・・・」と、
答えの出し方に気付いて、
=2 と計算しています。
子どもは、
計算見本を見て、
答えの出し方を、
アレコレと考えています。
そして、
答えの出し方を、
「こうだろう・・・」と決めています。
それから、
問題 = を、
自分が決めた答えの出し方で、
=2 と計算しています。
このようなことを、
この子は体験しています。
だから、
何らかの体験から得られる知識
体験知を得ています。
自分がした計算 =2 を、
「合っている」と認められたとき、
この子の体験知は、
この子にとって、
正しい知識になります。
この子の答えの出し方は、
この子が体験したことの一部分です。
「どうやったの?」と聞かれたことで、
この子は、
自分の内面を探ります。
自分がどのように =2 としたのかは、
内面にあるからです。
計算の仕方を探すために、
子どもは、自分の内面を探ります。
すると、
計算以外のことも、
体験していることに、
何となく気付くようです。
「そうか!」と納得することや、
「どうやるの?」と聞くから、
答えを出そうとするようなことです。
あるいは、
自分が、自分自身をリードしていることに、
「どうやら自分が・・・」と感じる子もいます。
(基本 -921)、(分数 -396)