子どもを育てていないのです。子どもに、実況中継型リードを見せて教えるこちらを育てています。

8+5=  のような

5 を足すたし算の指導です。

 

初めて習うときも、

集中が切れているときも、

計算スピードが遅いときも、

同じ教え方です。

 

次のような

同じ実況中継型リードを見せる教え方です。

 

 

例えば、

8+5=  の 8 を示して、

「はち」と言って、

5 を示して、

「く、じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん」と言って、

= の右を示して、

「ここ、じゅうさん(13)」と言います。

 

子どもが、

8+5=13  と書いたら、

次の  2+5=  の 2 を示して、

「に」と言って、

5 を示して、

「さん、し、ご、ろく、しち」と言って、

= の右を示して、

「ここ、しち(7)」と言います。

 

子どもが、

2+5=7  と書いたら、

次の  7+5=  の 7 を示して、

「しち」と言って、

5 を示して、

「はち、く、じゅう、じゅういち、じゅうに」と言って、

= の右を示して、

「ここ、じゅうに(12)」と言います。

 

子どもが、

7+5=12  と書いたら、

次の・・・・・・・・・と続けます。

 

 

こちらが、

目の前の子どもを育てていると思っていると、

どうしても何かを付け足してしまいます。

 

答えを出すこととは、

まったく関係しない何かを付け足します。

 

教え始めるとき、

「答えを出す見本です」、

「同じようにまねすれば

答えを出せます」のようなことを

付け足してしまいます。

 

1問の実況中継型リードを終えて、

2問目に移る前に、

「分かったとなるまで、繰り返します」、

「まねできる部分を増やしましょう」と、

付け足したりします。

 

子どもを育てようとするからです。

 

 

目の前の子どもではなく、

こちら自身を育てていると思っていると、

ブログに紹介されているままの

いきなり答えを出すことから始める

実況中継型リードを見せるようになります。

 

アレコレ言いたくなることは、

こちらを育てることと関係ないからです。

 

何かを言うとしても、

こちら自身を励ますための

自己暗示のようなことでしょう。

 

「同じようにできる」、

「自分を育てる鍛錬なのだ」、

「よし、やるぞ」、

このようなことでしょう。

 

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