「泣いているから、とても遅い計算になる」とできますし、「泣きながらも、一定の速いスピードの計算をできる」ともできます。どちらを選ぶこともできます。子どもの選択次第です。

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:654 \\ - \: 248 \\ \hline \end{array} }} \\ や、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:403 \\ - \: 167 \\ \hline \end{array} }} \\ や、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:304 \\ - \: 107 \\ \hline \end{array} }} \\ のような

難しさを感じさせるひき算で、

泣いています。

 

このような子を見たら。

普通は、

「泣いていること」を、

まず、何とかしようとします。

 

そして、

子どもが、「泣くこと」をやめたら、

「計算してしまいなさい・・」のように、

計算自体を子どもに任せます。

 

割と普通に

なされる指導です。

 

ここでは、

普通ではない指導をご紹介します。

 

「泣いていること」自体を見ません。

 

もちろん、

気にはなりますが、

「泣いていること」を見ません。

 

そして、

どのようなスピードで

計算をしているのかだけに絞って見ます。

 

「泣いていること」を見ないで、

どのようなスピードで

計算しているのかを見るのですから、

「泣いていること」と、

計算のスピードを切り離します。

 

泣いているから、

いつもよりも遅いスピードで

計算している・・のような見方をしません。

 

泣いていようが、

泣いていなかろうが、

計算しているのでしたら、

一定の速いスピードで計算することが、

子どもが育つために重要です。

 

一定の速いスピードで計算するから、

子どもは、

計算することで学べることを

キチンと学ぶことができます。

 

でも、

難しさを感じさせるひき算で、

泣く子がいるのは事実です。

 

そして、

泣くことで、

計算のスピードが、

かなり遅くなってしまうのも事実です。

 

このことを承知で、

こちらは、

「泣いていること」と、

計算のスピードは無関係と、

決めています。

 

実は、

こう決めているから、

こうできるのです。

 

この子が無意識にしているように、

「泣いていること」と、

計算のスピードが遅くなることは、

強い関係があると、

決めているとしたら、

そうなります。

 

目の前の泣いている子は、

無意識なのですが、

このように決めていますから、

自分が決めたように、

泣いているから、

とても遅い計算になっています。

 

だからこちらは、

この子に、

「泣いていること」はそのままにしておいて、

計算のスピードだけを

速くするようなリードをします。

 

以下は、その実例です。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:654 \\ - \: 248 \\ \hline \end{array} }} \\ の 4 と 8 を示して、

「引けない」、

「14-8=6」、

8 の真下を示して、

「6」です。

 

泣いているのに、

泣いていることを、

少しも構ってもらえずに、

ただ計算だけを見せるこちらに、

「普通ではない変な人」を

子どもは感じるのでしょうか、

こちらの計算を見て、聞いてくれます。

 

そして、泣きながらですが、

こちらの速いスピードのリードを見て、

聞いている子は、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:654 \\ -\: 248\\ \hline \:\:\:\:6\end{array} }} \\ と書きます。

 

続いて、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:654 \\ -\: 248\\ \hline \:\:\:\:6\end{array} }} \\ の 5 を示して、

「1、減って、4」、

「4-4=0」、

248 の 4 の真下を示して、

「0」です。

 

やはり、泣きながらですが、

こちらの速いスピードのリードを見て、

聞いている子は、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:654 \\ -\: 248\\ \hline \:\:06\end{array} }} \\ と書きます。

 

それから、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:654 \\ -\: 248\\ \hline \:\:06\end{array} }} \\ の 6 と 2 を示して、

「6-2=4」、

2 の真下を示して、

「4」です。

 

まだ、泣きながらですが、

こちらの速いスピードのリードを見て、

聞いている子は、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:654 \\ -\: 248\\ \hline 406\end{array} }} \\ と書きます。

 

このように、

泣いている子の

泣いていることを、少しも気にしないで、

計算だけを、

速いスピードで見せて、

泣いたままの子と協力して、

1 問、解き終わります。

 

続けて、

同じような実況中継を、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:403 \\ - \: 167 \\ \hline \end{array} }} \\ や、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:304 \\ - \: 107 \\ \hline \end{array} }} \\ の計算でも見せて、

泣いたままの子と協力して、

答えを出して、

書いてしまいます。

 

この体験は、

泣いているから、

とても遅い計算になると、

無意識に関連付けているこの子の心を、

強く揺さぶります。

 

泣きながらも、

速いスピードの計算を、

驚くほど自然に体験してしまうからです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -390)、(+-  {\normalsize {α}} -243)